ベル

昨日、愛犬のベルが亡くなりました。
私が生まれたときからかっていたローリーが17歳くらいになった頃、
ラブラドールレトリーバーのベルをかいはじめました。
ローリーは21歳まで生きて、死にました。
ベルは、あともう少しで15歳でした。

ローリーに引き続き、ベルも、世話をしていたのは
パパだったから、パパの悲しみはもっと大きいとおもいますが
昨日は実家に帰って、悲しくてしばらく固くなったベルを触っていました。
自分が息をしているから、触っていると、
ベルも息をしているように動いているように感じました。
生き物の魂は、いつまでそこにあるんだろう。
魚とか、動物とか、食べるものも、ころされた後もしばらく動いていたり、
するけど、あ、ということは魂が先に抜けて、意識が抜けて
抜け殻の物体としての体がその後おいてかれて動くってことなのかな。

もう私の目をみて
「触って触って」とも伝えないけど、
でも、寝てるみたいなベルは、
死んじゃった人間を見送るよりもずっと
「死んでいる」という事実が嘘のようでした。
たぶん「言葉」をもともと話さないからでしょうか。

でも、とにかくまだベルは、固い体の中に魂が残っているような気がした。

今日は、なんだか変な気持ちです。
ベルのことをかわいがってたおばあちゃんは去年の8月に亡くなりました。
ベルを見送るために、お寺に車でいく途中。
祖父、祖母との記憶がたくさん蘇って、整理がつかなくなりました。
記憶や、魂や、心や、これらは人間のコントロールの範囲にはありませんよね。
同じく人を好きになったり、嫌いになったりそんなこともそうですし。

でも、生き物が死ぬことで、
こんなに自分が生きていることを実感するというのは
なんとも複雑というか。

こんな暗い文章ですが、すごく客観的に自分を綴ってみた。