「戦争と平和を考える授業」

今日は、2年ぶりの受講となりました

私の母校 清泉女学院での恩師 梁瀬先生が毎年開催してくださっている

「戦争と平和を考える授業」でした。

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私のおじいちゃんは、私がサラリーマン時代に突然亡くなりました。

生前、おじいちゃんは、死ぬまでずっとしっかりしていて、

よく歩き、よくたべ、よく喋るおじいちゃんでした。

口の端から溢れる唾液を細々、ハンカチでおさえたり、ふいたりしながら

戦争の時の話をしてくれました。彼は衛生兵だった。

だから、たくさんの傷ついた人を見たって。

体温計が無い時は、手首で脈を計るんだっていうのを教えてくれたのも、そーいえばおじいちゃんだった。

 

おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいたときは、

もういいよって想うくらい「戦争の話」をしてもらったわけです。

正直全くリアルではなく、今もリアル、、とは言い切れませんが

今、考える機会、話をいやいやながら耳にする機会を失い

改めて梁瀬先生が毎年やってくれるこの授業のありがたみを感じる。

 

と同時に、先生の喋り方、言葉の使い方全てが

自分の生きてきた道、聴いてきたこと、学んだことを

素直に消化して人に伝える彼の生き方と人への伝い方が大好きであることを

改めて感じる。だから、言葉に重みがある。

重み、、、というか、当たり前の質量というのか。

彼の使う言葉は全て、自然体の質量を持つんだ。

だから、言葉が残るんだ。

 

(梁瀬先生が私の4年前にこの授業を受講して歌った時のブログも

プリントアウトして、皆さんへの資料として配ってくれていた。

こちらです。

 

一人の人間が一生を生きて、

言葉や、心、気持ちを、誰かに渡せるような循環が

生きる美しさというのでしょうか。

 

「戦争と平和」という大きなテーマはもちろんですが、

一人一人生きた証が残せる幸福感とか、そういうものを感じる授業です。

 

今日は、母と、Da Luaの秋元勇気と2人でいきました。

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ちなみに、歌ったのは、故人をしのぶ「なだそうそう」

ふるさとを想う「Country Roads」

そしてDa Lua「明日への灯り」

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憲法9条についても触れていました、

天皇陛下の生前退位についても。

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選挙の時に、私はどれだけ自分が政治に興味を持たず生きているかと感じる。

もちろん興味を持たないことがいいことだとは想っていない。

 

でも、自分の心と、歴史や政治、世界事情が自然に繋がり合うようなこーゆー機会を持てると、

改めて考えるべきことがたくさんあるのだとおもう。

 

そして、私には、私の持つ能力や、立場で、

何ができるだろう。この生きるという「循環」のために。

と想う、そんな日でした。

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梁瀬先生、毎年、ありがとう。

来年もよろしくお願いします。