島根県に、松江に、来ています。

島根県に松江に来ています。

松江の地に訪れるのはこれで3回目。11年前の私は、想像したでしょうか。

 

今日の目的は2015年度第四回スクールmarikoに参加するためです。

「福島」「原発」「地震」「避難」「仮設住宅」、

それだけではなく「貧困」「格差」「人種差別」等。

自分の目には見えない、体感はしていないこと。

私はそこに対して何かをする、能動的に動くことがすごく苦手であります。

自分が体験していない、実際「痛いっ」と想えない他人の体験、他人の体験の集まり=社会問題と呼ぶのかもしれませんが、そこに対する想像力を働かすのが苦手だという意識があります。

そんな意識がありつつも、「ボランティア」と呼ばれるような活動に興味があった。大学生の時はベトナムで学校に通えない女の子に毎月寄付をしたり、「耳の聞こえない人のための音楽」プロジェクトをやってみたり、詳しくは割愛しますが、色々やった。

バークリー時代も、少年院に音楽を教えにいったり。

その中で学んだことはいくつもある。1つは、「始める」ということには「続けることに対する大きな責任」が伴うということ。2つは、「してあげる」というスタンスは自分にとって確実な違和感であるということ。3つ目は、やはり自分の全然体感したことのない人の気持ちを察することはとても難しく勇気のいることだということ。

色々書きたいところですが、話を戻すと、

あの3、11地震があったときも、私はボストンに居た。「何もわからない」という不安や「母国が何かわからない危険にさらされている」という愛国心のかけらのようなものは体感しました。でも、日本でそれを体感した人とは違う視界だったはずです。

 

浜田真理子さんは今日のスクールmarikoが終わった後の打ち上げの場で言いました。「うちの母がこの前ね、今まで一度もそんなこと言わなかったのに、福島の原発のNEWSに反応してたのよ」スクールmarikoに来てくれたことで「福島」というワードに少しでも関心が持てたのかもしれないとおもうと、「よっしゃ」って想った! って笑顔で話していました。

 

私は、今年の3月11日も、来年の3月11日も、世の中がどんなに3、11の情報を伝えたり振り返るその日3月11日よりも、今夜が一番考えるかもしれない。

 

自分が3月11日に対してどう向き合ったのか、向き合わなかったのか、そしてその日をさかいに生まれたたくさんの問題と呼ばれる現象、今も残る事実。それに対する関心。何もできないだろうと想う。今だってそう想う。自分が体験したことのない痛みは、やっぱりわからない。でも、「わからないから知ろう」という姿勢に私はすごくすごく共感する。スクールmarikoはそういう場所だ。

 

私の憧れの歌手 「浜田真理子」が、そんなスクールmarikoを始めて、そこに集まる素敵な人たちが、私にまたこーゆーきっかけを与えてくれているというのは、私はなんとラッキーガールか。幸せな星の元に生まれてるわよ。と昔占いのおばちゃんに言われた事があるけど、そこを信じざるをえない。私は幸せな星の下に生まれた。「たくさんの人に愛されて、同じくらいたくさんの人に愛を返せる女性になってほしい」と愛と名付けられた。もしかしたらそれが私が歌う理由なのかもしれない。

 

今日のスクールmarikoでは、山形市避難者交流支援センター職員の内藤真紀さんという方が話に来てくださって、「避難者を受け入れる側」というテーマで、とても貴重なお話をしてくださった。彼女の話していたことを全部書くと、夜が明けてしまいそうなのですが、内藤さんの「心密度」の高い言葉は全て私たちの心にも届いた。

 

浜田真理子さんにご紹介いただいた松江birthdayというお店で、

明日ライブをする。平岡遊一郎さんと。

私の「心密度」は、音楽の中で、どれだけ高まるだろうか。

 

緊張するとかのレベルではないような前夜。

 

松江は、いつのまにか、私にとって「初心に帰る」大切な場所になった。