クールに。

今日は、朝起きて、ジョギングをして、発声練習をして、洗濯物をして、今乾燥機をかけています。

がらにもなく、明日のDa LuaのLIVEに対して緊張している模様です。

「いよいよ明日です!」みたいなつぶやきを、フェースブックに投稿すると

「楽しみにしてるー!」っとコメントしてくれる方がいたり、

メールをくれて、すごく楽しみにしてます。って連絡くれたり。

楽しみにしてくれるってすごく感謝するべきことだなと。

私が楽しみにしていたLIVE、今までもたくさんあります。

伊藤君子のLIVE、浜田真理子のLIVE、Dianne RevesのLIVE、Maria RitaのLIVE。。

書ききれないのでやめますが。

私は緊張したりとか、自分の中で大事なLIVEとか、場所とかそーゆーものに

緊張とか、一生懸命の気持ちとかそーゆーものはないほうが

プロだなと思っていました。なんというか、準備なんてしないけど、その場にたつとかっこいいのだ。みたいなクール感がすごくかっこよく思えていたのです。

色々な考え方の人がいるとおもうので、今の私の考え方が絶対に正しいとも思わないのですが、

でも、なんだか今は、

昔クラシックの唄をならっていたときに先生がいっていたこと「ステージにたつ人や、歌う人、彼らは白鳥のように美しいけれど、水面下ではすごいバタ足してます」っていうのが

どんどん納得できてきてるというか。

というか、エネルギー論です。

人が一生懸命になったとき、歯を食いしばって何かをしたとき、すごい集中して何かをしたときに出るエネルギーは、やっぱりそのひとの一線を越えます。100%だとおもいこんでたものが120%の存在に変化する瞬間です。

そのエネルギーが2、3人となると、やっぱりそこも、その3人の域を越えます。

その分、そのエネルギーはぶつかり合うものです。ときには。

私が楽しみにしてきたアーティストのLIVE、

そこには、アーティストの生き様が存在するから、ただならぬエネルギーをもらうのだとおもいます。

「クールに仕事してる」っていうのもある種のプロですが、

でも、「クールに仕事しなきゃ」みたいのは全然ちがくて、

そこでクールだったとしても、そのクール感の裏には

真剣に悩んだり、真剣に考えたり、練習したり、感じたり、そんなエネルギーがすごい勢いで詰まっているということです。そのエネルギーを外にダスも、出さないも個人の自由ですが、

そのエネルギーが存在しない表現はだめです。

「だめです」と100%言い切るのは私の生ではありませんが、

それは、100%だめです。

内に存在するエネルギーは絶対にないとだめです。

何にたいしてだめかわからないけど、とにかくだめです。

だから、私は、今日は、明日を前にして、こんな風にそわそわするのです。

じたばたしないで、「そわそわ」しようとおもいます。

こんな気持ちのとき、片野ごろうと、秋元勇気にあうと落ち着くので、

今日会えることになってよかったなとおもいます。